海風が顔にまとわりつく。
この半年間の間に、もうとっくに慣れて、不快じゃなくなった。
数時間に一本しかない、本土からのフェリーがやってくる時間だ。
とくに何か用があって来たわけじゃないが、ふらふらと港に来て、居着いている猫とたわむれていた。
フェリーからは観光客や行商の人間が下りてきた。
そして、その中に混じって一人、異質な人間を見つけて俺は口をあんぐり開けた。
まさかと思った。サングラスをかけていてもわかる。その背格好。
すると、そいつは俺の視線に気づいてタラップを下りて近づいてきた。
「やぁ、お巡りさん」
開口一番そう呼んだのは嫌味か。
彼も一応まだ韓国警察に所属しているはずだ。
「ジェームス、なんでここに」
俺は昔のままの呼び名で呼んだ。
ジェームス、韓国名をキル・スヒョン。かつて一緒に働いていた同僚だ。
「何でって、会いに来たんだ、お巡りさんに」
「そのお巡りさんってのやめろ」
「何でだ、似合ってるぞその制服」
完全に馬鹿にされていると思った。
降格されて離島での交番勤務を命じられた俺を。
しかし彼はサングラスを外して、胸ポケットにしまいながら言う。
「どうしているか、心配したんだ。やっと顔を見ることが出来た」
その顔は真剣だった。
久しぶりに、彫刻のような整った顔を見て、俺は恥ずかしくなった。
すっかりネガティブ思考が身についてしまっている。
「いいところだな」
ジェームスはあたりの景色を見て言った。
ちょうどシーズンで、色とりどりの花が咲いている。この景色を目当てに来る観光客が多い。
「何にもないところだろ」
俺は正直に言った。
「泊まるのか? 荷物少ないな」
「宿をとってある」
計画的に来たとは思えない軽装をしているジェームスに、俺はたずねた。
「どこの?」
「シオンっていうゲストハウスだ」
「あぁ、おじさんのとこか。いい宿選んだな」
「そうか」
「案内してやるよ」
歩きだすと、ジェームスは後をついて来た。
「いいのか? 仕事は?」
「島の中を歩き回って村の人に挨拶するのが俺の仕事だよ」
それを聞いてジェームスは感心したような顔つきになった。
エリートの彼は、こういった交番回りの警官が何をしているかなんて知らないだろう。
犯罪なんてめったに起きない平和な島で、村人の相談事に乗るのが主な仕事だ。
ちょっと前まで犯人を追ってカーチェイスしていたなんて信じられない。
ジェームスも俺も、職務中に人を殺した。
事件後の扱いが違うのは、俺のほうが相手の社会的地位が高かったからだ。
それに、俺の精神状態を危惧されているのだろう。 半年前まで俺は、明るい真面目な刑事だった。しかし妻を失った今、陰鬱な中年男に成り下がっている。
医者に診てもらえと言われたが、かたくなに拒否した。職務の続行を望んだ。そのおかげで、島流しというていたらくだ。
「島にはヒーリング効果があるわよ」
ソジュンが最後に言っていた。
それはあるかもしれない。
ソウルにいた頃より、頭が空っぽになっている。それはいいことなのか悪いことなのかわからない。ただ、荒っぽい自然に身を任せていると、人間がいくら努力しても何も意味のないことだと思い知ることが多い。
「ここだ。おーいおじさん、いるか? 客人を連れてきたぞ」
ロッジ風の家に向かって俺は大声を出した。
ジェームスは飼い猫のように目を丸くして驚いている。
やがて中から、管理人のおじさんが出てきた。
「なんだい、オ・デヨンか。案内までしてくれるとは有り難いねぇ。お客さん、どうぞどうぞ」
「失礼します」
ジェームスは軽く頭を下げて、俺を見た。
「先に一休みしてろよ。俺は交番で待ってる」
「わかった」
俺の答えに安心したように、ジェームスは目を細めた。
昔より穏やかになったような気がするその表情に、俺は羨ましく感じた。
すぐに帰るのかと思ったら、ジェームスは帰らなかった。
もう島に来て三日目だ。
ジェームスは一日中、俺の後をついてまわる。
俺は徒歩、もしくは自転車で島内をパトロールしては村人と話し込むので、そこに参加するものだから、もうすぐ村人全員と顔合わせするんじゃないだろうか。
でこぼこした道を歩いているものだから、結構疲れるらしくて、夜は早めに宿に返って就寝する。いったい何をしに来たのだろうか。俺の顔を見るだけなら、もうじゅうぶんだろう。
不思議に思いつつ、勤務を終え、交番の裏にある自宅で一緒に夕飯を食べる。
「宿に戻ったほうがうまい飯食えるだろうけど、まぁたまにはいいだろ」
俺が作った麺類を出すと、ジェームスは腹が減っていたのかあっという間に平らげた。
「じゃあ帰る」
「あぁ、お疲れさん」
まるでルーティーンのように、ジェームスは宿へ返っていく。
一人になると、島の自宅は広すぎる。俺は皿を洗ってさっさとシャワーを浴びて寝ることにした。
何も無い一日が繰り返される日々に、ジェームスは退屈ではないのだろうか。
そう思いながら布団の上でうとうとしていると、玄関からノックの音が聞こえた。
鍵は、村の慣習に従って開けっ放しだ。今時分、誰だ?と耳だけ研ぎ澄ませていると、ほとんど音もなく、気配は部屋まで入ってきた。
「???」
目を開けて暗闇を見つめると、布団の前に立っていたのはジェームスだった。
「何してるんだ、おまえっ」
なんとなく予想はしていたが、謎の行動に俺は電気をつけながら聞いた。
「宿のおじさんがワインをくれたから、一緒に飲もうと思って戻ってきた」
「はぁ?」
わざわざ戻ってきたというジェームスは、パジャマ姿だった。
「おまえ、そんな格好で……ソウルじゃ考えられないな」
「あぁ、この島の空気に馴染んだのかも」
「馴染んでんじゃねぇ」
俺は悪態をついて、布団から起き上がった。
「ついでにカラスミもある」
「大盤振る舞いだな」
よっぽど宿のおじさんに気に入られたのだろう。
俺はジェームスから白ワインをうけとって、ローテーブルの上に置いた。
ジェームスはベッドの前にあるソファに腰掛ける。
「再会に乾杯もしてなかったな。しよう」
「あ、あぁ、そうだな。焼酎用のグラスでいいか?」
やけにテンションが高いのは夜だからなのか。
俺達は今さら、半年ぶりの再会に乾杯した。
カラスミを肴に、二人でワインボトルを空けた。
したたかに酔っ払って、再び眠気が襲ってくる。
ベッドに座ってうつらうつらしていると、ジェームスがソファから立ち上がった。
こっちに近づいてきたかと思うと、身を屈めて、俺に顔を近づけてくる。
きれーな顔してんなぁ。相変わらず。
見とれている間に距離がゼロになって、唇にジェームスの唇がひっついていた。
「!?!?!?」
なんだこれ、と言おうと思ったら、唇の間から舌が入ってきて、たちまち口の中を舐められてやっとこれがキスだと理解した。
アメリカ育ちのスキンシップか!?と思ったが、今更すぎる。
久しぶりの粘膜の感触と、アルコールがないまぜになって、余計に頭がまわらなくなった。気がついたらキスは終わっていた。
「なん……ら? じぇーむす???」
「あなたは、僕を慰めてくれると思っていたのに」
「え?」
「そうしようと思っていたでしょう? 僕を抱きしめてキスをしようと」
「なんっで」
俺はぎょっとして聞き返した。
ソウルにいた頃の話だ。妻が失踪するよりもっと前。
ジェームスとの結びつきが濃くなって、こいつの精神的な不安定さと抱えている寂しさを見かねて、抱いてやろうと思ったんだ。今思えば単なるスケベ心だったかもしれない。こいつの寂しさにつけこんで……でも、出来なかった。しなかった。妻帯者の俺がそんなことをしたら余計傷つくだろうと思ったのだ。
「……なんでわかるんだ……」
「そういう目をしていたから」
「!」
見透かされていた恥ずかしさに酔った顔がますます熱くなる。
「わ、悪かったよ。あの時は、どうかしてたんだ」
「何で謝るんですか? そうしてくれればよかったのに」
「え」
「待っていても埒が明かないから、僕の方から来ました」
「は?」
俺はびっくりして声を上げた。
「おまえ、そのためにここまで来たのか!?」
「ちょうどいいヒーリングにもなりますし、あなたもわたしを癒やしてくれるんでしょう?」
「ばっか言え。おまえ、あのときの俺といまの俺じゃ違うだろ。癒やされたいのは俺の方だよ!!!」
語気を荒げて言い返すと、ジェームスは眉間にシワを寄せて、ムスッとした顔で膝の上に乗ってきた。
「だから余計に。僕らはいまや似た者同士だ。慰め合うのにもってこいだ」
俺は呆れてため息をついた。
「あぁもうっ」
苛立って片手で髪をかきむしる。
「バカ、理屈捏ねんな!」
「えっ」
「もっと前からお互いこうしたかった。そういうことだろう?」
ジェームスは呆然として固まった。
言ってはいけないことを言ってしまったように、俺を非難するように見つめる。
「そう思うんですか、あなたも」
「思うよ。あぁちくしょう。最初から、おまえが気になってしょうがなかった」
酔った勢いに任せて告白すると、ジェームスはまた唇を寄せてきた。
今度は俺もしっかりと受け入れた。
舌を絡ませ合い、舐め擦り合う。どちらのものかわからない唾液がこぼれ落ちる。
こんな激しいキスが俺達にはしっくり来た。
お互いが奪い合うように服を脱がせあい、感触や形を確かめるように触りあった。
俺はずっとこいつに触れたかったんだ。
叶って初めて思い知った。
日焼けしていない白い肌に余す所なく触れて、俺は興奮して当然ながら勃起していた。
ところが、ジェームスのほうはそうでもないようで、心配になった。その視線に気づいたのか、ジェームスは笑って言った。
「薬のせいで勃ちが悪いんだ」
「えっ」
「気にしないでくれ、性欲はある」
そう言って彼は俺の手を取り、自分の脚の間に導いた。
「あなたは男と性行為するのは初めてでしょう? 準備はしてきたからもう挿れてください」
「はぁ? おまえは初めてじゃないっていうのかよ」
「今その話をする気にはなれません。そんなことより」
ジェームスは言葉を切って、ベッドの上で四つん這いになった。
「今は目の前のことだけ考えてください」
「うっ」
俺は情けないがリードされるままに、ジェームスの薄っぺたい尻に触れた。
尻の穴に指を押し込もうとすると、中からとろりとした液体が流れ出したので驚いた。
「準備してきたと言ったでしょう? そのまま挿れるだけで大丈夫です」
何が大丈夫なのかわからないが、俺は覚悟を決めて、ジェームスの尻の穴にペニスの先をあてがった。
「挿れるぞ」
自分に言い聞かせるように言って、中へ捩じ込む。粘膜に包まれる感触に脳がどろりと溶ける気がした。狭くて熱い。濃い快感が腰の上へ駆け上っていく。
「やべ、これは……っ」
自分の意思とは関係なく、中にどんどん進入して行き、とうとう根元まで入ってしまった。
「んぅ……っ」
ジェームスも苦しそうに呼吸している。
しかし俺はもはや彼のことを大事に扱う余裕がなくなっていた。
「悪い、動くぞ」
言いながら、腰が自然と動いてしまっていた。
「あ、あっ」
ジェームスが喘ぎ始めた。
「んっ、あっ、あっ、あぁっ」
腰の動きに合わせて、引き抜くときと奥を突く時に声を上げる。
聞いたことのない艶っぽい声に、俺は余計に興奮した。鼻息粗く、ナカの感触をまんべんなく味わうように腰をまわす。
「はぁ、あっ、あんっ、あっ、あっ」
しまいには、ジェームスの背中の上に覆いかぶさるようにして腰を振っていた。
「あぁ、んっ、あっ、あっ、はぁっ、うっ」
肉を打つ音が部屋の中に響く。
「あっ、あぁもうっ、あっ、来るっ、来るぅ」
ジェームスが感極まった声を出した頃、俺も限界を感じた。
「うっ、出るっ」
「あぁぁっ、う。うぅ――――っ」
二人ほとんど同時にイッたようだった。しかしジェームスは射精したわけではなく、ベッドに突っ伏して硬直していた。俺が我に返っても、長く達していたようなので心配になった。
「……ジェームス?」
声をかけると、彼はようやく身体から力が抜けたようだった。
「大丈夫だと言ったでしょう」
「でもおまえ」
「足りなかったものが満たされたような気分です。あなたは?」
「えっ、俺は……」
生き返ったような気がした。
ずっと屍のようだったのに、今は生きていることを実感している。
「助かった、ような」
ぼそりと言った。
「そうですか」
ジェームスは微笑んだ。
「お互い、求め合っていたのに、随分時間がかかりましたね」
「そりゃあ、……しょうがないだろ……」
俺は言った。
お互い、色々あってここにやっとたどり着いたのだ。
「ジェームス、いや、キル・スヒョン……」
俺は彼の薄い唇に、軽く唇を重ねた。
「頼む、俺のそばにいてくれ」
そう言うと、彼は答えた。
「私にも、あなたが必要です」
などと言っていたのに、ジェームスはあっさり翌日ソウルに帰ってしまった。
『何でだよ!』
カトクで文句を言うと、スマイルマークが返ってきた。
『仕事があるので』
『いやいやいや』
『今度はあなたが来る番でしょう』
そんなやり取りをして、俺たちはまた離れ離れになった。
しかしまた会うのも時間の問題だ。
「今度は俺の番、か……」
俺はのどかな島を歩いてパトロールしながら、海の向こうを見つめていた。
おしまい