かき混ぜた卵を平たい皿に乗せて、わたしはエプロンを脱いだ。
そして、寝室の方に声をかける。
「ポール、そろそろ起きませんか?」
ドアから覗くと、彼は毛布から頭だけ出して起きる意思を示した。
「ん……朝ご飯は?」
セクシーな、低い掠れた声で聞く。
「あなたの好きな浅野屋のベーグルを買ってあります。それからスクランブルエッグを作りました」
「最高。今起きるからカリカリに焼いてくれ」
わたしは言われた通り、オーブントースターに半分に切ったベーグルを乗せる。
焼いている間に、ポールは身支度をする。
洗面所から鼻歌が聞こえてくる。
その懐かしいメロディに、ふと、数年前の記憶が蘇ってくる。
その日は確か仕事で不愉快なことがあって、むしゃくしゃした気分を慰めに飲みに行ったのだった。
「こんばんは」
隣の席に座った男が、こっちに向かってにっこり微笑んできた。
「こんばんは」
わたしは、ちょっと驚いて、そのまま返した。
「何を飲んでるんだ?」
男は続けてたずねてきた。彫刻のように整った顔立ちで、高い椅子に座るも脚を持て余している。
そこは、新宿二丁目の端にある小さなバーで、ナンパしてくる男は多いが彼のような人目を惹くタイプは初めてだった。
「モヒートです。日本語、お上手ですね」
「あれ、よく俺が外国人だって分かったね」
「さっき、バーテンダーと話してるのを見てたので」
ネイティブの英語を喋っていた。黒髪に黒い目だから、アジア系なんだろう。
何をしている男なのか全然想像がつかない。浮世離れした感じがする。
すると、彼はニヤリと口の端を上げた。
「俺を見てた?」
「えぇ」
「何で?」
「えっ」
何でだろう、と考えている隙に、グラスを差し出してきた。
「乾杯」
「あ、乾杯」
彼の飲んでいるカクテルは、緑に透き通っていて、夏らしさを感じさせた。
「俺もアンタを見てたよ、店に入ってきたときから」
「そうですか」
見つめられて困惑する。
こんなところにいるとはいえ、そうそう誘いには乗らないことにしていた。
お高く止まっているわけじゃないが、二丁目のバーに来るのは、性的指向を情報開示している人間しかいないので、居心地が良いという理由からだ。それに、かたっぱしからワンナイトしていたら、衛生面が気にかかる。よほど溜まっているときでないと応じないことにしていた。しかし……。
「今夜の予定は?」
「ずいぶん性急ですね。急ぎの用でも?」
「だってアンタかっこいいから、早めに予約しないと」
直球で褒められて、わたしは照れた。
「どうも。でも、買いかぶりすぎですよ」
「カイ……?」
「あぁ、言い過ぎってことです。わたしの顔はアナタの好みですか?」
笑って聞いたら、恥ずかしそうに目をそらしてしまった。
かわいい人だな、と思った。彼のほうがよほど、待っているだけでナンパされるだろうに。自分から仕掛けてくるとは。
店のBGMが懐かしいユーロビートに変わった。
その曲に合わせて鼻歌を歌いだした彼に、わたしはたずねた。
「名前を聞いてもいいですか?」
「……ポール。アンタは?」
わたしは顔を寄せて耳元で下の名前をささやいて答えた。
そのまま店を出て、近くのラブホテルに入った。
ポールは高級そうな身なりなので、こんな近場のラブホテルで良いのかと思ったが、なんだか嬉しそうに微笑んでいるので不思議に思って尋ねると、彼は答えた。
「日本のラブホテルっていいよね。セックスするためだけにあるビルディングっていうのが素晴らしい」
「なるほど」
わたしは感心して、安っぽいホテルの部屋を見直した。
それほど馴染みがあるわけではない。
たまに来るたびに、目新しいものが置いてあったりする。
「でも、ゲームとかも置いてありますよ」
「ゲームしたいの?」
「いや……」
否定する間に、腕を首にまわされ、近づいてきた唇で唇を塞がれた。
舌を絡めあってひとしきりくちづけに没頭する。
ポールのつけている香水であろう、良い香りが鼻をくすぐった。
ナンパに慣れた様子に、よっぽど遊んでいるんだろう。
入れ替わりにシャワーを浴びてくると、ポールが目を見張った。
「アンタ、すごいね」
ペニスの大きさが、ということらしい。寝た相手にはよく言われる。
物欲しそうに口を開けて、
「しゃぶってあげようか」
と言うポールに、わたしは首を横に振った。
わたしのペニスは大きすぎるので、フェラチオには向かない。相手に無理をさせるのも好きじゃない。
「今日はそういう気分じゃないからいいです」
「そうか?」
「それより、こちらに来てください」
裸の腰を抱いて引き寄せた。
抱きしめて良い香りを思い切り吸い込んで、唇と舌で胸のあたりに吸いついた。
「ちょ♡ 待っ♡ あっ♡」
乳首を吸って、胸を揉みしだくわたしが思ったより激しかったのか、ちょっと戸惑っているようだった。
「あ……っ♡ おい、そんな丁寧にしなくていいって」
「雑に抱かれるのが好きですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
別に丁寧に抱いているつもりはなかった。ただ、ポールがいかにも遊び慣れた様子なのにイライラして、泣かせたくなったのだ。
わたしは彼のきれいな形をしたペニスを舌と指でかわいがることにした。
「あっ♡ そんな♡ あっ♡」
先走りを塗りつけるように竿を手で擦り、先端の鈴口を舌先でくすぐる。
「んっ♡ あぁっ♡ あんっ♡」
「気持ちいいですか?」
「いいけどぉ……あぁっ♡」
ペニスを弄びながら、後ろの穴を探り始めた。
わたしは備え付けのローションをたっぷり指に絡めて、シワのひとつひとつを広げるようにほぐしていった。
「あっ♡♡♡ だからぁ、しつこい……っ」
「イヤですか?」
「イヤじゃなくて、いきなり入れてもいいからっ」
よほど、長く執拗に愛撫されるのに慣れていないようだ。
こんな極上な男が、一夜の男と殺伐としたファックをしているなんて、もったいないとしか思えない。
「さっきからうるさいですね」
わたしは苛立ちを隠さずに、ポールを正面から抱くことに決めた。
「えっ?あっ?」
正常位で抱かれることは想定していなかったらしい。
脚を大きく開かれて、彼は明らかに戸惑っていた。
「入れますよ」
ゆっくり、しかし確実に、ポールの尻の穴にペニスの先を捩じ込んだ。
「あっ♡ おっきい……っ♡」
そのまま奥まで進めて行く。
「あっ♡ あっ♡ あっ♡」
「大丈夫ですか?」
「息ができないっ、すごっ♡♡」
根元近くまで入れて、ひと息ついた。
ポールは呼吸するだけで精一杯のようだ。
だが、中の淫らなうねりにわたしも耐えられない。
「動きます」
「あぁっ♡♡♡」
何度か抜き差しをして、ポールを追い詰めた。
「あぁっ♡ んっ♡ あぅっ♡ Oh……っ♡」
ベッドの上の方にずり上がって逃げるのを、抱き止めて奥だけを突く。
「うっ♡ うっ♡ あぁーーっ♡♡♡」
それから、奥深く入れたまま、捏ねるように動かすと、ポールはすすり泣いた。
「うぅーっ♡♡♡ なんで♡ そん♡ な♡ ことすんのぉ!?」
「良くないですか?」
「いいよ♡♡♡ すっごい♡♡ きもち♡ いいっ♡♡♡」
ここまで気持ち良いのは想定外だということだろうか。
それはきっと、体の相性が良いのだろう。わたしも、彼の吸い付くような肌が心地よくて、隙間なく密着したかった。
「あんっ♡ Yes♡,……yeah♡……come’on♡♡……I’m cumin’!♡♡♡」
だんだん日本語がおぼつかなくなって、しだいに英語で喘ぎ始めた。
「Oh my god ……!♡♡♡」
ひときわ奥をこね回すと、ポールは悲鳴のような声を上げて絶頂を迎えた。
硬直して、わたしの背中にしがみついた。
その様子がとてもわたしの征服欲を満たして、わたしも多幸感の中で射精した。
ベッドから出てトイレに行こうとすると、つっかかりを覚えて転びそうになった。
「!?」
驚いた。
見れば、脚にポールがしがみついている。
「どうかしましたか?」
もう一回くらいやりたいのかな?眠いからちょっとキツイな、と思っていたわたしに、彼は掠れた声で言う。
「……どうしたらいいのかわからない」
「えっ」
「どうしたらまた会ってもらえるのかわからない。どうしたらいいんだ?」
「それは……わたしとまた会いたいっていうことですか?」
そういうタイプに見えなかったので、驚いたし、嬉しかった。
捨てられた子犬のような目で見上げてくる彼を、わたしは目を細めて見つめた。
後から聞いたところによると、ナンパして二度以上会った男はわたしが初めてだったそうだ。
「……朝食を食べに行きませんか?」
「え」
「食べながら一緒に考えましょう」
「お、起きる!」
勢いよく毛布から飛び出したポールに、わたしは笑ってしまった。
思えばあの時に、恋に落ちてしまったのだ。
それから、二度、三度と会い、気がついたらポールはわたしのマンションに住み着くようになっていた。
「何笑ってんの?」
「……昔のこと、思い出した」
「昔って、俺がいた頃? もっと前?」
「出会った頃」
「わー、思い出すなよ、もう」
何を思い出したのか一人で慌てている。
その様子がかわいくて、わたしはますます表情が緩んでしまった。
「なぁ、何で未だに俺に丁寧語なの?」
急に気がついたようにポールが聞くので、わたしは真顔に戻った。
「あなたのほうが年上でしょう? 日本では、年上には敬語を使います」
「ふーん、まぁいいけど」
ポールは納得していないように、ベーグルにかぶりついた。
本当の理由は、これ以上ポールにハマらないよう距離を取るためだ。
未だにわたしは彼の職業を知らない。
アメリカや韓国に数日旅立っては、しばらくしてまた戻って来る。
日本にいる間も、定時で出かけることはない。いつもふらっと出かけてふらっと戻って来る。まるで外飼いの猫のようだ。
だが、わたしは薄々気がついていた。
ポールはどこかに属するスパイだ。
一度、部屋の中に盗聴器を見つけて、すぐに引っ越しを余儀なくされたことがある。
その時の素早い行動を見て、なんとなく察してしまった。
だが、問いただす気はない。
いつまでわたしと一緒にいてくれるだろうか、と願う気持ちだけだった。
つづく?