レム睡眠の彼岸

 気がついたら、逆レイプされていて頭が真っ白になった。
 彼は騎乗位で俺のちんぽを根元までお尻にくわえこんで気持ちよさそうにため息をついている。
「う、うそ……」
 夢なのか現実なのかわからなくなって、俺は思わずつぶやいた。
 なぜなら、いつも見ている夢の光景にそっくりだったからだ。

 2044年の冬の夜のことだった。
 サークルの飲み会の帰り道、一人で歩いていて、すれ違ったときにぶつかった。
「あっ、すみません」
 とっさに謝った瞬間、彼はガラス玉のような目でぐっと見上げてきた。
 そこには何の感情もなく、すぐにまた前を向いて歩いていってしまった。
 怒られなくて良かったとほっとした小心者の俺は、今見た顔が忘れられなかった。
 どこかで見たことあるような。
 指名手配犯か? チラ見したユーチューバーか?
 悩んでいたけれど、ベッドに入って眠りに落ちる前に思い出した。
「あぁっ!」
 思わず口から声が出てしまった。
 繋がったのだ、頭の中で。
 夢で何度も会う男と。
 俺はその男をハン理事と呼んでいた。
 俺は夢の中で、その男とセックスをしていた。
 思春期になる前にそういう夢を見初めて、俺はかなり戸惑ったものだ。
 そのおかげで、自分はゲイなのかとだいぶ悩んだ。
 結局、実際には同級生の女の子とつきあったりしていたのだけれど、それとは別に夢の中の男の体は気持ちよくて、心地よくて……。
 確かにあの顔だ。年齢はもっと若かったけれども。
 ガラスのように透き通った茶色の目、すっと通った鼻、つんと尖った上唇。
 背の高さも同じだった。俺を見上げる視線に覚えがある。
 なんでいつも夢に出てくるんだ?と聞けばよかった。
 ていうか、また会うことが出来ないだろうか。
 どこでぶつかったんだっけ? 学校の最寄り駅の前だ。
 同じ大学の学生だったりしないだろうか。
 そんなことを考えていて、その夜はさっぱり眠れなかったから、夢も見なかった。
 翌日、同じ駅の前でぶらぶらすることにした。
 同じ時間帯だったら、通ったりしないだろうかと思ったのだ。
 当然、そんなにうまく行くはずはなく……空振りした俺は、肩を竦めて家に帰って行った。

 春の夜、まだ薄ら寒い頃。
 駅のそばを歩いているとき、デニムジャケット羽織るだけじゃ心細いなと思って腕をさすっていたところ、噴水広場の前に見知った人影が立っているのを見つけた。
 見知っているのは夢の中なのだけれど、すぐにわかった。
 彼は、暇そうに立っている。
 誰かを待っているのだろうか。
 ちょっと離れたところから見ることにした。いきなり俺から話しかけたら怪しすぎて拒絶されるだけだろうから。
 すると、しばらくして、一人の年配の男つまりおじさんが彼に近づいていった。
 彼とおじさんは何か話をした後、二人で歩き出してしまった。
 追いかけようか迷っているうちに、彼らは人混みに紛れて消えてしまった。
 あぁ、しまった。やっぱり追いかければ良かった。
 そう思ったけれど、もう遅い。
 その日はとぼとぼと家に帰ったけれど、諦めきれなくて翌日も同じ時間に同じ場所に行ってしまった。もちろん彼はいなかった。
 翌々日もいなかった。
 さすがに諦めて、でも翌週の同じ曜日にまた行ってしまったところ、彼はいた。
「あ……!」
 今度こそ、なんとか声をかけようとした。
 ところが、さっと目の前に現れた男が先に声をかけてしまった。
 何を喋っているのか、小声でよく聞こえなかったが、ごちゃごちゃ喋っていた。
 そしてあっという間に二人でどっか行ってしまった。
 またやられた。
 こないだとは違うおじさんだ。
「なんなんだよ、いったい」
 その日も諦めて帰ったけど、大学の友人に通話でぐちってしまった。
 もちろん、夢の中の話はごまかして。
 知り合いに声をかけようとしたら、おじさんとどっかへ行ってしまったと言ったところ。
 ーーーそれ、アレじゃねぇ?
 アレというのは何だと思ったら、売春のことらしい。
 俺はびっくりして、それから鼻で笑った。
 ネットの情報とか真に受けすぎだよ、と言ってその話題は終わらせ、しばらくして通話を切った。
 切った後、動揺した。
 売春? あのおじさんたちと?
 売春というと、おじさんと短い交渉の後、ホテル街に消えていくイメージだ。
 そう思えば、同じだ。いやでもまさか。
 でもあの容姿は確かに、おじさんたちに好かれてもおかしくない……。
 疑い始めたらきりがなくなって、その夜は全然眠れなかった。

 翌週、今度はATMで金を下ろしてから噴水前に行った。
 いつもの場所に、彼は立っていた。
 人を待っているような顔つきで。
 俺は意を決して、声をかけに行く。
「あの、すいません」
 彼は俺の方を振り返った。
 そしてちょっとびっくりした様子で、俺の言葉を待っていた。
「あの、ちょっとお話がしたいんですけど」
「話すだけ? ホテルなら◯万だけど?」
 どうする?と彼は小首を傾げて聞いた。
 や、やっぱり――――!
 売春だったんだ、と思って俺の心臓は跳ね上がった。
「か、金ならあります!」
 俺は思わず答えてしまった。
「オッケー、じゃあ行こう」
 そう言うと彼は俺を促すように歩き出した。
 俺もその後をついていく。
 駅からすぐのところにあるラブホテルへ歩いていく。
 斜め後ろを歩きながら思った。
 なんて美しい人なんだ。年齢は若いが、夢の中で見たそのままだ。
「はい、よろしく」
「えっ、あぁ」
 ラブホに着いて、俺は部屋を選んで金を払った。
 まだ心の準備もつかないうちに部屋についてしまって、俺は我に返った。
「ちょっと待って。俺ほんとに話がしたいだけなんです」
「は?」
 彼はベッドの前で立ち止まって俺を見つめた。
「金払わない気?」
「金は払います!」
「そうなの? 変わってるね。若いし。俺と同い年くらいだろ?」
 そう言ってじろじろ見てくる彼に、俺は頷いた。
「たぶん。何年生まれですか? 俺は2023年生まれです」
「俺も。やっぱ同い年だ」
 嬉しそうに彼は笑った。笑うと顔つきが柔らかくなっていっそう魅力的だ。
「で、童貞?じゃないか。さっきラブホに慣れてるふうだったもんな」
「ち、ちがうけど、男とはしたことない、です」
「えぇ!? じゃあなんで俺に声かけたの?」
「だから話を……君が、きれいだから……」
 そう言うと彼は目を丸くした。
 そして今度は爆笑した。
「あははは、そしたら普通にセックスしようよ!そのほうが話が早いだろ?」
「普通じゃない! あなたはなんでこんなことしてるんですか?」
 すると、今までの笑顔はさっと消えて、急に険しい顔つきになったので俺は背中がぞくっとした。
「何? 若いのに説教したいの?」
「ち、ちがいます。純粋に、不思議だから」
 俺が慌てて言うと、彼はつまんなそうに肩を竦めた。
「セックスが好きだから。いろんな奴と寝てみたいから。ついでに金も手に入るし。金は別に困ってないんだけどさ、あるにこしたことないだろ」
「えぇぇ」
 俺は思わず呆れてしまった。
 金のため、と言われたほうがマシだ。
「でも病気とかこわくないんですか?」
「定期的に検査してるから安心しろ」
「あ、そうですか」
 項垂れた俺に、彼は満足そうににやりと微笑んだ。
「話はそれだけか?」
「いや……」
 本当は、なんで俺の夢に出てくんの?って聞きたい。
 そんなこと聞いたら、頭おかしいやつだって思われるだけだ。
 俺はバッグから財布を取り出して、◯万円を差し出した。
「これは渡すけど、セックスはしません!ただ寝るだけにしましょう!」
 彼はそれを受け取って、ポケットに入れながら聞いた。
「はぁ、寝るだけね。まぁ、いいけど。シャワーは浴びろよ。俺も浴びてくる」
「は、はい」
 彼は用心深くカバンを持ったまま浴室に入っていった。
 俺がカバンの中身を漁るとでも思ったのだろう。
 一人になって、見知らぬ部屋の中で、俺は所在なくうろうろする。
 セックスしないって言っちゃったけど、それで良かったのだろうか。
 でも、今日会った男相手にセックスするような度胸は持ち合わせていない。
 ◯万円払ってまで、俺は何がしたかったんだ?
 自問自答しながらうろうろしていると、いつもまにか時間が経って、彼が浴室から出てきた。シャワーを浴びたあとの彼は、髪の毛がくるくるになって、ひどく色っぽい。
「はい、次どーぞ」
「どうも……」
 俺は代わりに浴室に入った。
 熱いお湯を浴ると、もう少し冷静になった。
 何をやってるんだろう、俺。
 夢で見ていた男に会って、ただ寝るだけって、わけがわからない。
 成り行きって恐ろしいな。
 そう思いながら全身を洗って、備え付けのバスローブを羽織って浴室を出た。
 すると、すっかり髪を乾かした彼がやはりバスローブ姿でドライヤー片手に待っていた。
「ほら」
 と、ドライヤーを手渡された。
「あ、ありがとう、ございます」
 俺が髪を乾かす間に、彼はベッドに潜り込んでしまった。
「え? もう寝るんですか?」
「だってすることないだろ」
「そうですけど……」
「おやすみー」
 TVとか見ないタイプの人なんだな、と思ったりなどして、俺はまたうろうろしていたけれど、やることがないのは同じなので、ベッドの隣に潜り込むことにした。
 男と同じベッドで寝るのは初めてだ。くっつかないように片側に寄って身を縮める。
 彼の方は当然気にしないようで、寝たフリなのか、もう目を閉じている。
 俺も気にしないようにして目を閉じた。
 緊張していたせいで疲れたのか、意外に早く眠りについた。

「う、うーっ」
 うめき声が聞こえて目が覚めた。
 そしていつもと違う天井に戸惑った。
 そうだ、ラブホテルで寝ていたのだった。
 思い出して、横を見ると、彼がうなされていた。
 どうしようかと思ったが、あまりに苦しそうなので、起こすことにした。
「だいじょうぶ、夢ですよ。起きてください」
 そう語りかけながら体を揺すると、彼はぱちりと目を開けた。
「はぁ……はぁ……」
 呼吸を荒げた彼は、額に脂汗も浮かべていた。
「よほど悪い夢を見たんですね」
 すると彼は大きなため息をついて言った。
「セックスもしないで、眠剤も飲まないで、寝ると、必ず同じ夢を見るんだ。スーツを着た男に銃で攻撃される夢。最後には俺はソファに座って死んじゃうんだ。悔しくてたまらなくて、苦しくなる」
 同じ夢と聞いて、俺は驚いた。
 彼もまた特別な夢を見るのか。でも俺とは内容が違う。
「あぁちくしょう。だからいやなんだ」
 きれいな顔に似合わないことを呟く彼に、俺は言う。
「でももう5時だから、起きてもいい時間ですよ」
 彼は舌打ちして上半身を起こした。
 寝乱れたバスローブの下から見える肌から、俺は思わず目をそらす。
「まぁ、電車動いてるなら帰るか」
 立ち上がり、昨日着ていた服をまた身につける彼から、目をそらしたまま俺は聞く。 
「また、来週会ってもらえませんか?」
「えぇ? 言っただろ? 俺は不特定多数とセックスするのが好きなんだって。じゃあ次はセックスする?」
「わ、わかりません!」
 正直に言うと、彼は吹き出して笑った。
「はー、うける。いいよ、俺はどっちでも。しないときのために眠剤持ってくるから」
「はぁ。じゃあ、また来週お願いします」
 俺は頭を下げてお願いした。
 毎週◯万円が消えるのは痛いけど、今まで貯めたバイト代を使ってしまおう。
 それでも数回分しかない。
 そう思ったら焦ってくる。
 俺は何がしたいんだ? 次までにちゃんと考えてこよう。
 そうして俺達はラブホを出て、駅の改札で別れた。

 その夜、また夢を見た。
 ハン理事がベッドの上から俺を誘ってきた。
 俺は、誘惑されるままに彼を抱く。
 生々しい感触。
 俺は、胸が苦しくなるほど、彼のことが好きで。

「うわぁ」
 朝起きた俺は、布団をめくって下半身を見つめた。勃っている。
 仕方なく一回抜いてから学校へ行くことにした。
 思い浮かべるのは、夢の中の感触と、昨日の夜の彼の姿。
 射精した後、激しく後悔した。
 やっぱり俺は彼とセックスしてみたいだけなんじゃないのか!?
 そう思って愕然とする。
 いや違う。違うんだ。
 たぶん、俺は彼のことを好きになってしまったんだ。
 夢の中の男とそっくりだから、かもしれない。
 実際きれいな顔をしているからかもしれない。
 どっちかわかんないけど、好きなんだ。だから、逆に売春なんかしたくなくて。
 うん、やっぱりセックスしたくない。
 そう伝えて、今度はいっぱい話をしよう。
 俺のことを知ってもらおう。
 そう決意して、ようやく布団から這い出した。

 
 
「こんばんは!」
「……こんばんは」
 同じ場所に現れた彼に、俺は目を見張った。
「わぁ、かわいい格好してますね。おしゃれしてくれたんですか?」
「はぁ? 普通だし! 何言ってんだ、まったく」
 浮かれて俺に呆れた顔をして、彼はすぐに歩き出そうとした。
「あ、待って。すぐホテル行くんじゃなくて、ちょっとどこかに寄りましょうよ」
「どこかってどこ」
 怪訝な様子の彼に、俺は言い募る。
「ご飯食べましたか?」
「食べた」
「じゃあお茶にしましょう、穴場のカフェがあるんです。いつ行っても座れるんですよ」
 そう言って、俺は彼の手を取って歩き出した。
 どさくさに紛れて手をつないでしまった。
 顔が熱くなる。きっと赤くなっている。
 でも彼は振りほどかずに、そのまま大人しくついてきてくれた。
「ええと、ここの二階です」
 裏道のビルの二階にあるカフェに案内をした。
「何飲みますか?」
「紅茶。ホットで」
「じゃあ俺も、同じので」
 店員が去ってから、彼は口を開いた。
「で、今日はセックスすんの?」
「またそれ~。しませんよ。今日はまず俺の話を聞いて下さい」
「はぁ?」
「俺の好きなこととか、家族のこととか、聞いて下さい。ちゃんとお金は払うので!」
「はぁ……」
 諦めたような表情をした彼に、俺は一方的に喋りだした。
 ミステリ小説を読むのが好きなこと、中高ずっとバスケ部だったこと、大学では旅行サークルに入っていること。妹が一人いること、去年から一人暮らししていること、なるべく自炊していることなどを話した。
 彼は聞いているのか聞いていないのかわからないような顔で聞いてくれていて、喋り倒して一息ついた俺に、ひと言感想を漏らした。
「幸せな奴ってことはわかった」
「えっ」
 俺は焦った。
「あなたは幸せじゃないんですか?」
 まるで宗教じみたセリフだが、思わず聞いてしまった。
「幸せだけど? 金は有り余ってるし、一人で自由だ」
「そうならいいけど……」
「立ちんぼやってるから不幸そうに見える? これは趣味だよ、趣味」
「趣味……」
 趣味と言うには危険だと思う。どんな奴がいるかわからないし。
 でも説教できるほど俺は彼と親しくない。
「さんざん喋ってすっきりした? じゃあホテル行こうよ。こないだみたいに寝るだけでもいいし。俺、ラブホテルが好きなんだ」
「えぇー、どこが好きなんですか?」
「嫌い?」
「うーん、衛生的に気になります」
「なるほど?」
 俺が会計を済ませて店を出てから、彼は言った。
「猥雑な感じがいいんだよね。そういうの好き。ネオンサインとか、古い飲み屋街とかも好き」
「へぇ」
 そういうのが好きなことを知れて、俺は嬉しくなった。
 ひとつ、彼のことを知った。
 俺達は、先週とは別のホテルに行った。もう少し普通のホテルみたいな地味なところだ。
 前と同じようにかわりばんこにシャワーを浴びたが、こないだと違うことがあった。
「おまえ、ちゃんと髪乾かせよ」
 そう言って、ドライヤーで彼が俺の髪を乾かし始めたのだ。
「こないだ、生乾きだっただろ。布団が濡れて冷たかったんだ。迷惑」
「だ、だから髪乾かしてくれるんですか? やさしい……」
 感動する俺に、彼は髪をぐしゃぐしゃと混ぜるようにしてドライヤーをあてた。
 これだけで好きになっちゃうと思うんだけど、他の男にもこういうことするのかな。
「あの、不特定多数って言ってたけど、常連とかいるんですか?」
「あぁ、常連になりたがるやつはいるよ。いい会社のえらいおっさんとか。でも」
「あ、やっぱいいです。聞きたくないです!」
「自分から聞いといてなんなんだ」
 髪はすっかり乾いて、ぼさぼさになった頭を俺は手ぐしで整える。
「じゃあ、おやすみ」
 そう言いながら、彼はペットボトルの水で薬を飲んだ。
「それが睡眠薬ですか?」
「そう」
「ふぅん」
 袋の形状から、ちゃんと処方薬のようだったので、俺は安心した。
 彼はベッドに潜り込んだので、俺も隣で眠ることにした。
 今日はちょっとドキドキする。
 彼を好きだと自覚しているからだ。
 好きな子とは、隣で寝るだけでドキドキするに決まっている。
 布団の中で、触れないように気をつけながら、俺は天井を見上げた。
「あ、大事なこと話し忘れました」
 思い出した。肝心な夢の話をしていなかった。
 その話をしようと横を向くと、彼はもう健やかな寝息を立てていた。
「は、早い」
 睡眠薬のせいか。
 しょうがなく、俺も目をつぶることにした。
 朝になったら話をしよう。
 夢の話をされても、彼は困るかも知れない。
 でも、何かわかるかもしれないから。
 いろんな意味でドキドキして、その夜はなかなか眠れなかった。
 
 
 それでもじゅうぶん眠った気がして、朝目が覚めた。
 目をつぶったまままどろんでいると、誰かが足元にいるような気がした。
「……?」
 それから、急所を触られる感触に飛び起きた。
「!! 何!?」
 自分の下半身を見ると、彼がうずくまって俺のちんぽを咥えている光景が目に入った。
「うわっっ!!! なにやってんですか!?!?!?」
「~~~~」
「咥えたまま喋んないでください!」
 そう訴えると、彼はちんぽを片手で握って口だけ離した。
「おまえのちんぽ、よく見たらすげぇでかいじゃん? それでセックスしないの、むかつくからさ……もう勃ってるし、いいじゃん」
「そりゃこんなことされたら勃ちます! つか、勝手にやめてください……」
 俺は顔を両手で覆った。
「そんなに嫌ならやめるけど?」
 亀頭をぺろぺろ舐めながら聞かれて、やめられる男がいたらお目にかかりたい。
「続けて……ください……」
「よし、やっと素直になったな」
 彼は嬉しそうに笑って、かぷっともう一度亀頭を咥えた。
 それからは、頭がどうかなりそうだった。
 彼の舌はちんぽに巻き付くようにひっついて、すぼめた唇で扱かれ、あまりの快感に目を瞑ると天国が見えた。
「うぅっ、無理です、もう、出る、出ちゃうっ」
 情けなく喘いだ。
 それでも彼はちっとも容赦してくれなくて、鈴口に舌先をねじこまれ、ぐりぐりされて射精を促された。
「あぁっ、もうだめです、”ハン理事”っ」
 俺は早くも限界を感じて、彼の口から逃れようと、身動ぎした。
「あ……っ!」
「うぅっ」
 その瞬間射精してしまったせいで、最悪なことに彼の顔に精液が飛び散ってしまった。
「あぁっ、すみません、すみません!」
 謝りながらも止められない。
 ぴゅるぴゅると飛び出る精液が、彼のきれいな顔を汚すのを見ているしかなかった。
 申し訳無さとは正反対に、頭の芯は解き放たれた快感で痺れていた。
 やっと全部出切って、俺は青褪めた。
 なんてことをしてしまったんだ。
 怒っただろう、と彼を見ると、彼は顔についた精液を指で掬って、味を確かめるように舌で舐めた。
「ひぃっ」
 あまりのいやらしさに声が出てしまった。
 すると、彼は笑い出した。
「何だよ、その声。うける」
「お、怒ってないですか?」
「あぁ? 別に」
 彼はむしろ上機嫌なようで、ホテルに備え付けてあった除菌シートで顔をぬぐい始めた。
「それより、続きやろ?」
「いや、しません」
「は???」
 俺がきっぱり断ると、彼は驚愕の表情をした。
「セックスしないって言ったでしょう。ここまでならギリ、です」
「はぁ? おまえ、自分だけ楽しんで何言って」
「すいません、俺も、しましょうか?」
 言ってみたが、フェラチオなんてしたことがないので自信がない。彼もそれを見越したのか、呆れた顔をした。
「いいよ、もう。ズルいやつ」
 拗ねてしまった、と思ったが、何かを思い出したようにもう一度俺に顔を向けた。
「おまえがイク時に、俺のこと”ハン理事”って呼んだよな?」
「えっ、俺そんなこと言ってました?」
 きっと、夢と混同してしまったのだろう。
 ちょうど良い。これは、夢の話をする機会だと思った。
「あの、笑わないでくださいね。実は……」
 昔から、ハン理事という男とセックスをする夢ばかり見ること。その男が彼にそっくりなことを俺は話した。
 彼は意外なことに真剣に話を聞いてくれた。
「きっと、それは、俺の夢の中と繋がってる」
「え?」
「俺は、撃たれて死ぬ夢を見るって言っただろ。その時の俺の呼び名が”ハン理事”だ」
「えぇっ」
 俺は驚いた。
「何だろう。俺達の夢って、なんか意味あるのかな」
「前世……じゃないですか? 俺達、前世で恋人同士だったのかも」
「急にスピリチュアルなこと言い出すなよ」
 彼は一蹴した。
 恋人同士なのは夢見がちな妄想かもしれないけど、撃たれて死ぬというのが気になる。
「俺達、同い年だし、その年に生まれ変わったのかも」
 そう言うと、俺達は顔を見合わせた。
「調べてみよう」
 とりあえず、ラブホテルはもう出る時間だ。
 もう一度シャワーを浴びて、外へ出ることにした。
 駅前に移動して、駅に通勤客が吸い込まれて行くのを見ながら、俺達はファストフード店で朝食を食べた。
 朝からハンバーガーにかじりつきながら、彼は片手でスマホをいじっていた。
 情報はすぐに見つかった。
「2023年、ホギョン学術研究財団の長男が強盗に襲われて亡くなってる。その人が、”ハン理事”かもしれない」
「写真とか出てますか?」
「あるけど……古い写真で、小さいからよくわからないな。俺に似てるのかな? ほら」
 スマホの画面を見せられたが、ゴシップサイトの記事では、確かによくわからなかった。
「なんか、謎の事件だって。彼の部下もたくさん亡くなったのに、あんまり報道されなくて、犯人も捕まらなくて、そのままらしい」
「そんな大きな事件なのに有名じゃないなんて、変ですね」
 でも、きっと彼はその人の生まれ変わりなのだろう。
 だとしたら俺は、その人と恋人関係だった相手なのか。
「前世の記憶が残るって、よっぽど心残りだったのかな」
 彼はぽつりと言った。
「うちの両親も、死んでるんだけど、生まれ変わったりしてるのかな」
「えっ、そうなんですか!?」
 思わず聞き返してしまったけれど、彼は淡々と続けた。
「小さい頃に、俺をばぁちゃんに預けて乗った飛行機が爆発した事故で、二人共死んだんだよ。それで多額の保険金が下りたから、俺は金に困ってない。ばぁちゃんが亡くなった後は一人で生きてきた」
「そんな……、すみません、無神経に自分の家族のことなんか話して」
 だから、幸せな奴なんて言われたんだ。
 俺は自分の浅はかさを後悔して、落ち込んだ。
「今更気にしないよ、そんなことぐらいで」
 彼はハンバーガーの最後のひとくちを食べ終わって口のまわりを拭いた。
「それじゃあ、本当に売春は趣味でやってたんですね」
「趣味と……あと人探し」
「人探し?」
「でも、それももう終わるかもしれない」
 どういうことか尋ねる前に、彼は立ち上がった。
「これはお願いなんだけど、来週俺とまた会ってよ」
「えっ、もちろん。こちらこそ。会ってくれるなら嬉しいです」
 俺は上ずった声で答えた。
 彼の方から誘ってくれるなんて本当に嬉しい。
 前世の縁を感じて、何か心変わりしてくれたのだろうか。
「じゃあいつものところで」
「はい」
 俺達はまた、駅の改札で別れた。

 1週間後、噴水の前で落ち合った。
「どうする? またカフェに行く?」
 彼の方からそう聞いてくれた。
「はい、また同じところで良ければ」
 カフェに行ってから、今度は俺はあまり喋らなかった。
 幸せな奴と言われてしまう脳天気な話をするのは無神経だろうと思ったからだ。
 そのかわり、彼のほうがよく喋ってくれた。
 育てのおばあさんが良い人だったこと、身内は他にいないこと、身寄りがないと苦労することなど。
 一人暮らしの些細な面倒さなどは、俺はたった二年しか経験していないが、話が合った。
 自炊あるあるで盛り上がって、ふと、沈黙が訪れたとき、彼が聞いた。
「ねぇ、今日もセックスしないつもり?」
「え、はい。それはそうです」
 だって、セックスしたら売春になってしまうし、一回したらもう二度と会ってもらえないような気もしているので、心に決めていた。
「そっか……」
 彼はさびしそうな顔をした。彼はきっとセックスをコミュニケーションだと思っているのかも知れない。だから本当は人間が好きなのでは? ただ方法をそれしか知らないだけなのでは、と思うのだ。
「じゃあ前みたいに一緒に寝ようよ。それならいいだろ?」
「はい、それなら……前みたいに不意打ちするのはやめてくださいね?」
「ははっ」
 彼は笑って、答えなかった。
 それに一抹の不安を感じたが、いつも通り、ラブホまで一緒に行った。
 同じように交互にシャワーを浴び、髪を乾かしてもらった。
 なんだか楽しくなって、幸せな気持ちで眠りについた。彼が睡眠薬を飲んだかどうかまで確かめなかったが、息苦しさを感じて、目が覚めたのは、数十分たった頃だろうか。
「!?」
 身動きが取れないと思ったら、両腕をバスローブの紐で頭の上に縛られていた。
 腹の上には、彼が腰を落として座っていて、俺の体を押さえつけていた。
「ごめんね、今夜は無理やりさせてもらう」
「えぇっ」
「どうしても、確かめたいんだ」
「ちょっと待っ」
 枕を顔の上に押し当てられ、黙らされた。
 俺が戸惑っている間に、彼は俺のちんぽを擦って簡単に勃起させてしまう。
 そして、器用にコンドームを被せると、その上に跨った。
「あぁっ」
 ぬるりとした感触は、ローションだろうか。ローションをお尻の穴に溜め込んでいたに違いない。驚くほどスムーズに挿入してしまった。
「んっ、大きいから、全部挿れるの大変……んくっ、ふぅ」
「う、うそ……」
 俺は急に見知らぬ快感に包まれて呆然とした。したことのある女の子とは全然違う。もっと狭くて、熱くて、刺激的だ。
「はい、った」
 根元まで咥えこんで、彼は息をついた。そしてうっとりと腰を揺らす。
「あ、あ、いぃ……奥まで届いてる……っ」
 ところが、
「あっ?」
 急に慌てたのは、俺が腰を動かし始めたからだ。
「えっ? あっ!」
 自然と腰が動いてしまう。
「あっ、あっ、そんな急に……あんっ」
 止められない。気持ちよくて、発情した犬みたいに腰を振ってしまう。
「あぁっ、んっ、激しっ、はぁっ」
 彼は喉を反らせて喘ぐ。
 逆レイプされていたはずなのに、いつのまにか逆転していた。
 縛られていた腕はほどけ、彼の細い腰に両手を回して押さえつけるようにして下から打ちつけた。俺は自分が獣になったような気がした。
「あっ、あんっ、あぁっ、んんっ、こん、なっ、すごいっ」
 俺は夢の中にいるような錯覚に陥った。
 ハン理事をガツガツ犯しているのと同じように、腰を動かした。
 脳が溶けそうなほど気持ちがいい。このまま溶けて、彼とひとつになってしまいたい。
 そんな気持ちになっていたら、ぽつんと水滴が上から降ってきた。
 びっくりして見れば、彼が泣いていた。
「思い出した……会いたかったんだ、おまえに……。ずっと探してた……」
「”ハン理事”!」
 俺も思い出した、前世のことを。
 俺達は、恋人同士じゃなくて、主従関係だったんだ!
 スーツ姿の謎の男と死闘を繰り広げて、自分は理事より先に死んでしまった。
 最後までそばにいてあげられなかった。
「会いたかった……!」
 彼はぼろぼろ泣きながら俺の前世の名前を叫んだ。
「”ハン理事”、守ってあげられずに申し訳ございません……!」
 俺は完全に前世が乗り移ったように言い募りながら、腰を動かし続けた。
「あっ、いいっ」
 彼は身をくねらせてよがった。
「イク、イッちゃうっ、あっ、あぁっ」
「うぅっ、私も」
 彼は俺の上で絶頂を迎えた。
 俺はゴムの中に勢いよく射精した。
 力尽きたように、俺の上に倒れ込んで来た後も、彼はびくびくと何度か痙攣した。
 涙の粒がまつげに溜まっていた。
 俺はそれを眺めながら、呼吸が静まっていくのを感じていた。
 彼のお尻の穴からちんぽを抜いてしばらくしても、彼が目を開けないので、心配になって頭を撫でた。
「大丈夫ですか?」
「ん……」
 すると彼は、ようやく起き上がって、疲れ切った表情で俺を見下ろした。
「全部思い出してスッキリした。おまえも思い出した?」
「はい、俺は”ハン理事”を守れなかったことが心残りだったんです」
「”ハン理事”も、おまえにずっと言えなかったことがあって、心残りだったんだ」
「えっ、なんですか、それは」
「わかるだろ? おまえのことがずっと好きだったってことだよ」
 彼は恥ずかしそうに微笑んだ。
 それは、夢の中のハン理事の表情と重なった。
 今度は、俺のほうがわんわんと声を出して泣いてしまった。
 泣いてべしょべしょに顔の濡れている俺に、彼は覗き込むようにキスしてくれた。
「ん……ん、ふぅ……」
 キスに応えたら、また止まらなくなってしまった。
 舌を絡め合って、唾液を交えて、またキスをして、繰り返して。
 キスに夢中になって、抱き合ったまま、朝まで過ごした。
 多幸感で胸がいっぱいだ。
 明け方になって、彼は言った。
「あ、そうだ。金はいらないよ。今夜のは売春じゃないから」
「はぁ。でもそれじゃ……」
 もう会ってもらえないんじゃないかと恐れたが、彼は言った。
「普通に、つきあいたい。だめか? こんなふしだらなことしてきた俺じゃあ」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
 俺は思い切り首を横に振って、正面から目を見据えて言う。
「つきあってください。お願いします。これからは恋人になってください」
「いいの? 嬉しい!」
 ぎゅうぎゅう抱きついてくる彼が愛しくてたまらない。
「あ、それなら、俺に向かってタメ口にしろよな?」
「あぁ、そうですね……あ」
 早速失敗して、俺達は顔を見合わせて笑った。
 前世のせいもあって、言葉遣いはなかなか抜けなさそうだ。
「それから……」
 それから、ようやく俺達はお互いの名前を教えあったのだった。

おしまい
 

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