SO YOUNG

 狎鴎亭洞の裏カジノにガサ入れが入った。
 カジノは地下で行われていたが、そのビルの三階にある運営事務所を訪れていたジュングまでがその他の従業員とともに装甲車に乗せられ、警察署へ連れて行かれた。
 不愉快をあらわに顔を歪め、ジュングは若い刑事の取り調べに言葉少なに答えていた。身分証から身元は割れていた。補導歴はあるが前科はない。チンピラにしては小洒落て小綺麗な服を着ているため、若い刑事は最初から警戒しつつ接していた。
 ジュングは逆に堂々とした口調で言う。
「俺はカジノの客でもない、たまたま事務所に招かれて来ただけだと言っただろう。さっさと帰らせろ」
 刑事はカッとなって何か言い返そうと前のめりになり口を開いた。その肩の後ろから現れた男が力強くぐいと掴んだ。
「なんだ、またおまえか」
 ジュングを見下ろして親しげな声をかける。
「うるせぇな」
 ジュングはますます眉間にしわを寄せた。
「カン先輩? こいつ……」
 若い刑事は怪訝そうに年上の刑事を見上げた。
「俺が調書取っとくから他の奴片付けろ」
「は、はい」
 彼が立ち上がり、部屋を出ていくと、カン・ヒョンチョルはかわりに椅子に座り、ジュングの鋭い目つきを正面から受け止めた。
「誰に向かって口聞いてるんだ?」
 ヒョンチョルは手を伸ばしてジュングの髪を掴んだ。
「いっ、やめ……てください」
 敬語を使ったとたん、ヒョンチョルは手を離した。ぐしゃぐしゃになった髪を直しながら、ジュングは何度も舌打ちをする。
「俺は関係ないんです。さっさと帰してください」
「未成年があんなところにいるあら悪いんだろ」
 ヒョンチョルはそう言うと、ジュングはむっと口を尖らせていっそう強く睨みつけた。
「ん……? あぁ、おまえ十九になったのか。そりゃめでたいな」
 ヒョンチョルは苦笑した。ポケットから煙草とライターを取り出して火をつける。するとジュングは手のひらを上にして差し出した。
「なんだその手は」
「俺にもください。十九になったんで」
「祝いならこれやるよ」
「なんだよこれ」
 ヒョンチョルが差し出したのは棒つきキャンディだった。
「おまえにはこれが相応だ。俺から見たらいくつになっても青いケツ丸出しのガキだからな」
「くそっ」
 ジュングは思わず手のひらの上のキャンディをヒョンチョルに投げつけてやろうと思ったが、ぐっとこらえて握りしめる。
 カン・ヒョンチョルは素知らぬ顔をして、離れたところでさきほどの若い刑事を含めた数人が取り調べをしているのを見た。
「あいつらだってそうだ。図体と態度だけでかくなりやがったって小学生と変わりゃしねぇ。ただ暇持て余して暴れたいだけの奴らだ。それがいっちょまえに頭使った犯罪しやがると思ったら……」
 彼らは裏カジノで店側と手を組んで不正を行っているグループだった。裏社会に恨みを買って後ろ盾がなくなったおかげで、見せしめに警察の手が入ったのだろう。
「もともと入れ知恵をしたのはおまえだそうだな?」
 ヒョンチョルは口元だけ笑みを浮かべて言った。ジュングは持て余したキャンディをポケットにツッコミ、視線を反らした。
「何の話かわかりませんね」
「いくらアガリをかすめてるのかしらねぇが、あんまり俺たちを舐めてると主犯でしょっぴくぞ」
 ジュングは少し置いて、ヒョンチョルにもう一度視線を合わせると、笑みを浮かべて言った。
「そんなわけないでしょう。あんな奴らの嘘を真に受けないでくださいよ。それとも、証拠があるなら持ってきてください? 刑事さん」
 ヒョンチョルは肩をすくめて鼻で笑う。
「かわいくねぇな。そりゃおまえの家がいろいろあったのはわかるけどよ、なんとか真面目にやっていこうと思えばいくらでも道はあるだろう。わざわざ社会に復習したって何もなりゃしねぇよ」
「ふん、説教なんかクソ喰らえだ」
 ジュングは机の下の板を蹴り上げ、大きな音を立てて威嚇した。まわりの視線が一瞬集まり、すぐに散る。
「ったく……」
 ヒョンチョルが何か言いかけたところで、低い音が聞こえた。ジュングの腹の虫だった。
「腹、減ってるのか」
 ヒョンチョルは肩を震わせ、笑いを堪えて尋ねる。
「う、うるせぇ」
「あぁ?」
「うるさい……です」
 ジュングは苦々しく語尾を付け加える。ヒョンチョルは笑いをおさめると、机に手をついて立ち上がる。
「よし、立て」
「?」
 ジュングは怪訝そうに目を細める。
「来い。冷麺くらいなら食わせてやる」
「出ていっていいのか?」
「どうせおまえのことだ、証拠なんか残すわけねぇ。店内にいたわけでもないのに立件できねぇだろ」
 それを聞いてほんの少し迷ったが、ジュングは立ち上がると、部屋を出るヒョンチョルの痕を黙ってついていった。
 警察署の近くの、小さな店に入った。やっているのかいないのかわからないくらい入り口は薄汚れていた。
 中に入ればいたって普通の店で、ヒョンチョルが頼んだものと同じものをジュングも頼んだ。注文してメニューを置いたあと、ジュングは口を開いた。
「……なんでアンタは」
「アンタだと?」
「なんで刑事さんは俺に構うんですか」
「構っているように見えるか」
「じゃあ他の非行少年も見かけたらいちいち声かけてメシ奢ってるんですか」
 根本的に疑問に思っていたことを尋ねた。
「全員ってわけでもねぇな。俺が声かけたら即座に逃げ出す奴も多いし。まぁ確かに……おまえくらいか」
 そう言うと、ジュングの表情は心なしかほっとしたように見えた。
「なんでだろうな。うーん」
 ヒョンチョルは額を爪で引っ掻いて考える。
「かわいいからかもしれねぇな」
「かっ?」
 ジュングは叫び声を上げそうになり、慌てて押しとどまった。
「さっきはかわいくねぇって言ったじゃねぇか!」
「かわいくねぇのが一周回ってかわいいってことだな」
「何だよそれ!」
「赤くなってかわいいな、ジュング坊っちゃん」
 かわかわれたとおり、ジュングは顔を真っ赤に染めている。どう言い返そうか焦っているところへ、注文した冷麺が運ばれてきた。
 ちょうど良かった、とジュングは箸を手に取り、器を抱えて口に詰め込んだ。
 ヒョンチョルもにやにやしながら食べ始める。
「うまいか?」
「……うまい」
「だろ、この店は汚ねぇけど味はいけるんだ」
 二人はしばらく無言で食べ続けた。あと一口というところでジュングは顔を上げた。
「奥さんと子供、帰ってこないんですか」
「そんなこたぁ俺が知りてぇよ」
 ヒョンチョルは投げやりに答えた。
「……寂しくない?」
「自業自得だからな。俺がさんざん寂しい思いをさせたせいでこうなったんだ」
 そう言うと、ジュングはうつむいて目を伏せた。
「みんな、壊れるならなんで家庭作ろうと思うんだよ」
 ヒョンチョルはこともなげに答える。
「そりゃ壊れるなんて思ってもみねぇからさ。誰だって自分の三歩先のことなんかわかりゃしねぇんだ」
「年をとっても?」
 ジュングはまた顔を上げて聞いた。
「いくつになっても、過ちは犯すし、足元は掬われる」
「じゃあ、生きていく意味なんてないじゃねぇか」
「そう言うなよ」
 ヒョンチョルはジュングの頭に手を当ててぽんぽんと叩いた。
「生きてりゃ意外と面白いこともあるもんだ」
「いい加減なことばっかり」
 ジュングはふてくされたように口を尖らせた。しかしすぐに何か思いついたのか、にやりと頬を緩めて言った。
「寂しいなら、俺が行ってやろうか」
 思いがけない言葉に、ヒョンチョルは珍しく困惑したような表情を見せた。
「物好きだな。男やもめの部屋なんか来たって面白くもなんともないぞ」
「見られたらまずいものでもあるのかよ」
「おまえこそ、一人の家に帰りたくないならそう言え。ちゃんと甘え方も覚えるんだな」
 ヒョンチョルに言われ、ジュングは最後のひとくちを口に突っ込んだ。しかしそっけない態度とは裏腹に、ヒョンチョルはジュングを連れて帰るつもりになっていた。
「あっちだ」
 店を出るとヒョンチョルが方向を指し示すので、ついていくと地下鉄に乗り、ジュングが降りたことのない駅で降りた。住まいは駅から近く、元は家族で住んでいた名残のあるファミリータイプの古い集合住宅に着いた。
 確かに本人の言う通り、中は散らかっていて、生活自体に興味がないような室内だった。電気をつけてリビングに通される。
 テレビの横に奥さんと子供らしい二人の写真が飾られてあった。ジュングはそれを見て読み取れる情報は一瞬にして読み取ったものの、見てはいけないものを見たように目を反らした。
「……奥さんいなくてどうしてんの?」
「外食しかしてねぇな。それとも洗濯物の話か?」
「アッチのほう。風俗?」
 予想外の質問に、ヒョンチョルはコップに汲んで飲みかけていた水道水を口から吹き出した。
「余計なお世話だ、穴さえありゃいいおまえらの年頃とは違うんだよ」
 馬鹿にされてることはわかっても、ジュングはごまかされずに聞き返した。
「誰でもいいわけじゃないってこと?」
「それにそんなに必要なくなるんだ。おまえもこの歳になってみりゃわかるだろうよ」
 ヒョンチョルはそう言って、干したままの洗濯物の中から、Tシャツと短パンを取り、ジュングに投げて渡した。
「布団敷いてやるからさっさと寝ろ」
 ジュングは突っ立ったまま、寝室で布団を広げる。
「俺じゃ役にたたない?」
 ヒョンチョルは怪訝そうに振り返った。
「俺、こないだスカウトされたんだよ。俺みたいのは需要があるんだって言われた。知らないオッサン相手に金稼ぐのはイヤだけど、アンタなら」
「遠慮しとく」
 ヒョンチョルはそっけなく答えた。
「なんでだよ、かわいいって言っただろ!」
「おまえ、さっきからずっとタメ口に戻ってるぞ」
 はぐらかされてジュングはますますふてくされた。
 渡された服を床に置き、来ていたシャツを脱ぐ。若さに満ちた張りのある身体が現れる。よくついた筋肉は暇さえあれば鍛えている成果だ。それが『需要』の理由だとジュングは思い込んでいたけれど、堂々たる背の高さや他人を圧倒するような雰囲気をまとっていることに自覚はなかった。いい大人がまだ若い彼の前に媚びたり、怯えたりするのはアウトローとしての迫力ゆえだと思っている。
 しかしそれだけでないことは、刑事のほうが心得ていた。
 ジュングの、まだ迷いを含んだ危うさに対して、堂々たる男っぷりが良くも悪くも大人の男共を引き付けているのだった。
「あのな、いいか、もっと自分を大事にしろ」
 そう言いながら、ヒョンチョルは布団のまわりに散らかっているものを確かめることなく片っ端からゴミ袋に放り込んだ。
 ジュングはパンツと下着を脱ぎ、ウエストの緩んだ短パンを履いた。
「あぁトイレならそこだ」
 指差された方向を見て、ジュングはまだ突っ立っていた。その目は艶を含んだ黒よりも黒い色をしていて、いらだちと絶望を含んで揺れている。いつものように睨みつけているのとは違う。焦がれる視線を感じ、ヒョンチョルはむず痒くなり背中を爪で引っ掻いた。
「どんなつもりでそういう目をするんだか」
「そういう目?」
 何を言われているのかわからなくて、ジュングは眉根を寄せた。
 ヒョンチョルは肩をすくめる。
「たかがメシくらいで借りは身体で返すとか言うなよ? いくら安月給でもこっちは公務員だ。おら、余計なこと考えずにさっさと寝ろ」
 ジュングは少しうなずくとトイレに向かったので、ヒョンチョルは胸を撫で下ろした。地道にやってきているのに、こんなところで未成年淫行などというつまらないケチをつけられたくない。
「……いや、成人したんだったか」
 思い出してヒョンチョルは舌打ちした。
「おい」
 声をかけられ、すぐ近くにジュングが戻ってきたのに気づき、ヒョンチョルは恐ろしい考えを頭から追い出した。
「どっちに寝ればいいんだ」
「タメ口やめろって言っただろ。そっち寝ろ」
 示された布団にジュングは寝っ転がった。
 その腹の上に毛布をばさりと落とし、部屋の入り口にある電気を消す。ヒョンチョルも隣の布団に横になった。ただ寝るために帰るだけの部屋に、大きな闖入者の気配は大きい。目を閉じたヒョンチョルの横で、大きな気配が動いた。
 毛布を払い除け、ジュングはヒョンチョルの上に跨るように覆いかぶさる。
「…………」
 ヒョンチョルはため息をついた。
 おまえなぁ。そんなに俺とヤリたいのか? 溜まってるにしたってよく考えろよ」
 ジュングはむっと口を引き結び、呆れた目で見上げるヒョンチョルを見下ろす。
 この男が、自分より遥か先を生きていて、決して追いつけることはないとわかっているからだ。
 年齢だけじゃない。立場も環境も何もかも違う。
 まるで生まれたときにはこの世にいなかった父親のように憎らしい。
他人同士が年齢や立場が関係なく対等になるのは、恋愛においてだけだという誰かの言葉をジュングはひっそりと信じてきた。そうなったら、自分は満足できるような気がするのだ。
「……もういい」
 ジュングはぶっきらぼうに言い、ヒョンチョルの上から降りると、自分の布団の上に背を向けて横になり全身に毛布をかぶった。
「おやすみ」
 ヒョンチョルは欠伸まじりに言った。
「おやすみ、なさい」
 ジュングは毛布の中からくぐもった声で答えた。すぐに隣からいびきが聞こえ始めると、ジュングは寝返りを打ち、ヒョンチョルの背中のほうを向いた。
 くたくたのシャツ越しの広い背中をじっと見つめる。
 しばらくして身体をじりじりとずらし、布団の端から落ちるほど近づいて、額をヒョンチョルの背中にくっつけた。シャツ越しのぬくもりとずっと年上の男の匂いに安心して目を閉じる。
 とたんにジュングは糸が切れたように深い眠りに落ちたのだった。

おしまい

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