悪い夢を見た。
細かいことは覚えていないが、前線で死にかけたときの記憶が蘇ったんだと思う。
体中が痛くて、呼吸が出来なくて、血が止まらない。
声を出そうと思っても奇妙な唸り声しか出てこなかった。
これは夢だ、と早々に気がついた俺は、早く目覚めなくてはと意識だけで足掻いた。
早く、早く、目覚めなくては。
このままだと死んでしまう――――。
ぴちゃ、と顔が濡れる感覚が訪れて、現実に引き戻された。
ようやく目を開けると、目の前に誰かがいる。
「!?」
近すぎて把握するのに時間がかかった。
兄貴だった。
兄貴が、俺のベッドまでやって来ているのだ。
「……あ」
声を出そうとしたが、掠れて変な音が出た。
すると、兄貴のほうが気がついた。
「起きたのか」
「あ、兄貴。何故ここに?」
「うなされてた」
「あぁ、はい、悪い夢を見ていました」
ホテルの一室の中、隣のベッドで寝ていた兄貴がこちらに来るくらい、ひどいうなされ方をしていたのか。
心配をかけてしまって恐縮する。
「もう大丈夫……」
ぴちゃ。
さっきから兄貴は何をしているのか。
やっとわかった。
俺の顔を舐めているのだ。
「兄貴?」
それは、母猫が子猫の体を舐め尽くすように、ぺろぺろと俺の顔の、正確に言えば真ん中にある傷の痕を舐めている。
兄貴は野生動物じみたところがあるが、ここまでとは。
きっと、うなされる俺を慰めるためにこうしていたのだろう。
「あの、もう、大丈夫ですので」
「そうか」
それでもまだ、兄貴は俺の顔を舐める。
くすぐったい。というか、これはまずい。
「もう大丈夫ですから」
繰り返し言って、のけぞって顔を遠ざけた。
「そうか?」
ようやく意図が伝わったようだ。兄貴は舌をしまってくれた。
しかし、俺をじっと見て、それから気づいてしまった。
「勃ってる」
「あぁっ!」
俺は叫んだ。
「こ、これは、だから、俺は兄貴のことが好きですから、こういうことされると……!」
「おまえ、俺とセックスしたかったのか?」
直球で言われて、俺は頭を一発殴られたような気がした。
その通りだが、そう言われると困る。兄貴だって困るだろう。
しかし兄貴は(いつものことだが)表情一つ変えず上半身を起こした。
「わかった、セックスしよう」
「えっ」
何故そうなるのかわからない。
俺は慌てて言う。
「そんな簡単に。俺は我慢できますし、トイレで抜いてくればいいだけですから」
「でも俺としたいんだろ?」
「そ、そうですけど……」
「じゃあ待ってろ。準備してくる」
「え」
俺は耳を疑った。
「準備って」
「男同士のセックスには準備がいるとやり方を昔教わったことがある」
「よ、傭兵時代にですか!?まさかそいつと」
「心配するな、そいつは死んだ」
「はぁ」
どういうことなんだ。
俺が完全に混乱している間に、兄貴は風呂場に行ってしまった。
それから俺はベッドから起き上がり、部屋の中をうろうろしながら考えた。
どういう成り行きでこうなってしまったのだ?
わからない、わからない……。
わからないまま、時間だけが経って、兄貴は風呂場から出てきた。
真っ裸のままで、俺はその入れ墨をまとった体の美しさに見とれてしまう。
だが、見とれている場合ではない。
「本当に俺とセックスしてもいいんですか?」
「なんでだ? したくないのか?」
「したいですけど、兄貴の方は……」
「それなら、俺もしたい」
「えっ」
その答えに、俺は理性がなくなってしまった。
「好きな奴とセックスするのは気持ちがいいんだろう? それをしてみたい」
「えぇっ」
それは「好き」の種類が違うのでは?と思ったが、兄貴が勘違いをしていてもいいやと思うほどに理性が飛んでいた。
俺達は長い付き合いの中で初めて唇を重ねた。
兄貴の薄い唇を吸って、口の中を舐め回した。粘膜を重ね合わせて、兄貴の目がとろんとなって感じているのがわかった。
抱き合ったままベッドに転がって、俺が兄貴を組み敷いた。
こんなことが許されるなんて夢みたいだ。
全身にキスをしながら、入れ墨の美しさに惚れ惚れする。こんなことならコッチの手管も鍛えておくべきだった。だが、俺のつたない愛撫に、兄貴は呼吸を荒くしてくれた。興奮しているのは、ゆるく勃起しているペニスからもわかる。
俺は背中を丸めて、兄貴のペニスを口に入れた。
夢中で舐めたり吸ったりしていると、兄貴の口から低いくぐもった声が聞こえる。
嬉しい。このまま射精させたい。射精するときの顔を見たい。
俺は今すごく浅ましい顔をしているだろう。
見られても構わない。ずっと、こうしたかったんだ。体ごと、兄貴を手に入れたかった。
「うぅっ……あっ!」
兄貴が俺の口の中で射精した。俺は躊躇わずにその精液を飲み込んだ。
「……はぁ、飲んだのか?」
兄貴が呆れたように言った。
「はい」
「バカな奴だな」
悪態を吐かれて、俺は思わず笑顔になった。
「おまえのは俺が……」
手を伸ばそうとする兄貴を、俺は制した。
「いいです。もう充分勃ってますから、挿れさせてください」
「わかった」
兄貴が俺の前で脚を開く光景に、俺は感激でめまいがした。
もちろんペニスもがちがちに固くなっていて、痛いくらいだ。
準備してきたと言う通り、兄貴のそこは柔らかくなっていた。指を押し付けるだけで入っていく。二本、三本、と増やして中の具合を確かめた。
「何してるんだ? 早く入れろ」
「えぇ、わかってます。念の為に」
俺はのろのろと言い訳をしながら、兄貴を傷つけないように、ペニスを挿入した。
「ふ、ぅっ」
初めてペニスを受け入れるのはいくら兄貴でも苦痛だろう。
しかし逆に、俺はきつい肉壁に包まれる感触に喉を鳴らしていた。
気持ちがいいなんてもんじゃない。熱くうねって、すぐにでも射精してしまいそうだ。
気をそらすように仕事のつまらないことを思い浮かべ、兄貴の様子を伺った。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、平気だ。おまえはどうだ?」
「……気持ちがいいです……」
「だったら動け。したいようにしろ」
どうして兄貴はこんなに俺を甘えさせてくれるんだろうか。
不思議に思いながら、俺は腰を動かし始めた。
「あっ、うっ、……んっ、はぁっ」
不規則に喘ぐ兄貴の声が、俺をむやみに煽る。
「兄貴、兄貴っ」
俺達は今粘膜でつながっている。
俺は、兄貴に許されている。
その事実が、俺を何より興奮させた。
「あっ!」
兄貴が一瞬引きつった声を上げた。
「……ここ、感じますか?」
「あっ、そこ……うっ」
どうやら兄貴の良いところを見つけたので、俺は執拗にそこを突いた。
「あっ、あぁっ、も、いい、から……っ、イけっ」
やめろじゃなくて、もういい、なのが正直で兄貴らしい。
兄貴には本能のまま生きていて欲しい。
そう願いながら、俺は貪るように腰を振った。
「あっ、……ん、ぐっ」
兄貴は二度目の射精をして、俺をぐいと締め付けた。そのはずみで、射精してしまいそうになったので、俺は慌てて外に引き抜いた。飛び出した精液が兄貴の腹の上に散った。
あぁ、入れ墨の上に精液が放たれるとこんなにやらしいのか。
感心しながら、俺は呆然と余韻に浸った。
「ありがとうございます。これを思い出に生きていけます」
俺は深々と兄貴に向かって頭を下げた。
これで、明日野垂れ死んでも思い残すことはない。
しかし、兄貴はけだるそうに聞き返した。
「なに言ってるんだ、おまえは」
「だから……」
「やっぱり好きな奴とセックスするのはいいもんだな。女を抱くよりずっといい」
「えっ、そうですか?」
「あぁ、だからまたやろう」
「は!?」
俺は今更ながらパニックになった。
俺に同情して、一回だけやらせてくれたのだと思っていたから。
「なんで、俺に体を許してくれたんですか?」
「おまえは、おまえと同じことを俺が考えているとは思わないのか?」
逆に聞き返されて、俺は頭の中がハテナでいっぱいになった。
兄貴はそんな俺に顔を近づけて、囁くように言う。
「俺も、おまえともっと深く繋がりたかった」
俺は顔がかぁっと熱くなって真っ赤になっているのがわかった。
最高の殺し文句を言ってのけた兄貴は、気が済んだように、毛布をひっかぶった。
「じゃあ寝る」
「えっ、ちょっ、汚れたままで……」
脅威のスピードで眠りに落ちた兄貴の体を、俺は小一時間かけてきれいに拭いた。
今になってじわじわと、「またやろう」という言葉が効いてくる。
思い返してはずっと眠れなくなって、朝起きた兄貴に呆れられたのだった。
おしまい