かえるの王子さま

知らず背中を丸めて歩いていた。北風がびゅうびゅう音をたてる。いつもにまして寒い夜だ。ジャンパーのポケットに入れている両手もついぎゅっと握りしめてしまうが、右手にはだいじなものをにぎっているので、そのたんびにはっとして力を加減する。まだラベルもない真っ白なチューブに入っている化粧クリームは自分にはまったく無用の長物だが、しかしなん億もの価値があるはずだ。金の卵ってヤツだ。いや金のなる木だったか。とにかくこれを売り飛ばせば手っ取り早く大金を作れると思ったんだが、そうは簡単に行かなかった。パダのやろう。成分表だと。くそ。あの先生、ファジョンを脅して手に入れるか。
まずはかんたんな方法を思いうかべたが、できそうにない。ちぇっ、あんなにかしこくてかわいい女をどうかするほど俺もオチちゃいねぇ。今までも泣かせはしたが……あの真っ黒い大きな目からポロポロこぼれ落ちる涙を思い出して、いっそう寒さにふるえてますます背中を丸めた。
それもこれも、元はといえばヤツが悪いんだ。もっとまともな“経営”ってヤツをしていたら、俺がここに来ることもなかったし、お気に入りのネックレスを質に入れられることもなかった。
ぐるぐるとめまぐるしく、今度はヒョンジュンの顔が思い浮かぶ。すると、ヤツの体の熱さを思い出して、冷えきっていた体にぼっと火がついた。
背中にぴたりと吸いついてはなれない薄い腹や、まとわりつく汗の匂い。思い出せば出すほど、びゅうびゅう北風が吹きすさぶ夜道を歩いているというのに、ぽかぽかと腹のおくがほてってくる。
何回か殴ったけれど離れなくて、そのうち根負けしたのは俺のほうだ。
ヒョンジュンの顔は必死で、目は血走り、こわばっていた。
借金をしょいこんで、がけっぷちで頭がおかしくなったのかと思うくらいに。
俺と違ってまっとうな育ち方をしていた奴らだって、道っぱたに放り出されるときはみんなおんなしだ。俺みたいなどん底をはってきたヤツのほうがしぶてぇもんで、はなっから明るい道を歩いてきたヤツのほうがあっさりとあきらめちまうんだ。
よく知っている。そんな経験からくる心配が俺をヒョンジュンのアパートまでたどりつかせた。
社長とはいえつましいくらしだ。それももういつまであるか。
部屋の前に着き、声もかけずにドアの取ってに手をかけると、あっさりと開いたので驚いた。顔を突っこんで中を見る。と、床の上に投げ出された足が見えた。
「!?」
床の上に、ヒョンジュンがあおむけにたおれている。
「おい、どうかしたのか」
部屋に入り、近づきながらどなってもぴくりとも動かない。
「こんなところでねるな。おい! こら、起きろ!」
不安にかられてゆさぶってみたが力が完全に抜けて目を閉じたままだ。
おそれていたことがとうとう。のどがカラカラにかわく。
「死ぬな!」
叫んで、頬をひっぱたく。
すると、目は閉じたまま、口だけがうすく開いた。
「俺は死んだ」
「ふぁっ!?」
死体が突然しゃべったので面食らった。聞きまちがえたのかと思ったが、もう一度、特徴のある低く甘い声がはっきりと聞こえた。
「キスしてくれたら生き返る」
「ふぁぁっ!!??」
つづけざまにわけのわからないことを言われてあせり、ともかくしかたがないと目の前のうすい唇に自分のくちびるをぎゅっと押しつけ、すぐにはなしてようすを見る。
「もう一回」
ヒョンジュンに言われて、もう一度同じようにした。
「もっと」
もう一度。
ぎゅっと目をつぶり、何度もくちびるを押しつける。
ヒョンジュンはとうとう目を開けた。
「ぷふっ」
ヒョンジュンはのどのおくで笑いながらひじをついて起き上がった。
目を開け、肩を揺らして笑っているヒョンジュンに確かめる。
「い、生き返ったのか?」
「うん」
「良かった」
ほっとため息をついた。わるい冗談で良かった。
「大丈夫だよ、チョン先生」
ヒョンジュンは笑うのをやめると、イヤミったらしい呼び方で俺の名前を呼んだ。
「心配しなくても、俺はね、たくさん大事なものがあってこの世には未練がたくさんあるんだ」
「そりゃあ良かった」
「とくに、アンタ」
「俺が? なんで……」
会社や母親やジヨンのことじゃないのかと聞き返すことはできなかった。
「キスっていうのはこうするんだ」
ヒョンジュンは口を大きく開けたかと思うと、むぐっと吸いつかれた。
ぬっと入ってきた舌が口の中を好き勝手にべろべろなめまわす。その動物じみたかんしょくに全身が総毛立った。ぞくぞくふるえて動けないでいると、頭の後ろをがっちりと両手でつかまれて、おさえつけられた。
びっくりして引っこんでいた舌をヒョンジュンの舌で引っぱりだされ、くちびるで吸いとられる。うら側をちろちろなめられ、下からなぶられ、先っぽをくわえてちゅうちゅう吸われ、また全体をねっとりと絡みつかれる。
こりゃなんというか、キスというより、アレだ。俺はこんなふうに口の中を他人に好き勝手いじくりまわされたことはなかったから、はずかしくて、真っ赤になって、叫びだしたい気持ちをこらえる。けれども粘膜が擦られる気持ちよさについ自分からも舌を押しつけ、こすり合わせ、鼻の奥から甘ったるい音がもらしてしまった。 むちゅうになるうちに口のはしっこからよだれがだらだらとあふれ、息をするのを忘れた。苦しくなって胸をこぶしでどんどん叩いたらようやくヒョンジュンははなれてくれた。

はなれたけれど、口の中がとけてしまったみたいに心もとなく、深呼吸しながら、残っている感じを思い出すように自分の口の中を自分の舌でなめる。もう少し続けても良かった。止めさせてしくじった。
「そういう顔」
ヒョンジュンはまっ正面から俺をのぞきこんで言う。
「そういう顔されると、手放したくなくなる」
自分が今どんな顔しているのか、鏡もないので俺にはわからない。気持ち良かったことで頭がいっぱいだ。腰が抜けたように力が入らねぇ。
俺も、ヒョンジュンの顔じっと見る。いっそう苦しそうな顔をしている。
せっかくの男前がだいなしだ。もったいねぇ。同情して見つめていると、ヒョンジュンはさっきとは違い、口をすぼめ、音を立ててくちびるに何度も吸いついてきた。吸いつきながら、俺の胸のあたりをまさぐりはじめる。
はじめはとにかく乱暴だった。殴りかかられたと思った俺はまともにやり合おうとしたが、かみつかれ、急所をつかまれて、まずいと思いおとなしくすると、服をひっぺがされ、体じゅうよだれまみれにされたあげく、よつんばいにさせられてうしろからのしかかられ、つっこまれた。
ぜんぶ終わってから文句を言うと、「どうせ慣れてるんだろ」と言いやがった。
そんなわけあるか、と大声でどなったつもりだったが、調子はずれになってしまった。鼻の奥がつんとして、ぽつぽつとしか話せなかった。
おまえは”組織”やムショをどんなところにだと思ってやがるのか。そりゃ中には、おかしなヤツもいたが、いちいち相手にしていてたまるか。
そう言い返すとヒョンジュンはきょとんとした顔をして、それからあたふたと見るからにふためいた。そしてまるで俺が高級なツボかなんかのようにそっと腕の下に手をさし入れてかかえた。
俺は鼻をぐずぐずしながらふりはらった。
だがそれ以来ヒョンジュンはそんなふうにさわってくる。

ゆっくり、そうっと、肌着の上から胸を揉んだあと、めくりあげた服の下からべろべろなめて、ハァハァ息を荒くして鼻先をこすりつけてくる。なでたりさすったりされれば俺のほうはふわふわとしたここちがするが、俺なんかをさわってこいつはいったい楽しいのか。
ふしぎに思って見ている俺と目が合うたんび、ヤツはのび上がってくちびるを合わせる。せつなそうにまゆのあいだにしわをつくる。
変なヤツだ。どうしてなんだ。俺はいっしょうけんめい考えようとするが、ろくに頭が回らない。元々あまりむつかしいことを考えるのは苦手だ。そういうのは頭の良いヤツの役目だ。あぁこいつは頭が良いんだったな。 それじゃあわかっているのだろうか。
しんこくな顔をして、ヒョンジュンは俺を見る。
何もわからない俺は、困ってあちこち目をそらしているうちに、ヒョンジュンのあそこに気がついた。ズボンの上からわかるほど大きくなっている。
「元気になって良かったな」
わざとまぜっかえしてやったら、ヒョンジュンはむっとしたようだ。
「黙って」
お返しとばかりにむんずと俺のものをつかまれた。
ベルトをはずされ、ズボンが下着ごと引きずり下ろされ、めんどくさそうに足首からも引きぬかれた。セーターと肌着の下にヒョンジュンは頭をつっこんで胸や腹をべろべろしながら、指で俺自身をぐにぐにいじくり、きれいな指を巻きつけてこする。勉強しかしてこなかっただろうきれいな指でそうされたら、もうだめだ。腹と腰がうねうね動いてしまい、せかすように肩を押してヒョンジュンの頭をセーターの下から引き出した。
しかしせかしても、起き上がったヒョンジュンはイかせてくれるわけじゃなく、足の間のもっと奥、自分でもさわったことのないあたりを指の腹でさわって広げようとする。なんともいえないたよりない感じがする。ヒョンジュンは手に唾をつけて何度も押し広げて、中を同じようにさわってくる。広げるためだけじゃなく、中からさわって俺のようすを確かめるというあんばいだ。中からの感じは、うわっつらじゃない、ずっと深いところで気持ちよくなる。それをわかってやっているだろう男に、さんざんいじられ、イくこともできず、終わりが見えなくてつらくなった頃、指よりもっと大きくて熱いヤツをねじこまれた。
苦しいだけでいたくはない。苦しくてきもちがいい。
ゆっくりと出し入れされ、ざぶざぶゆれる船に乗っているみたいだ。

だんだんと早くなる。ゆれといっしょに声が出る。
大きく突いたあとにぐるりと回され、つむった目のうらにぱちぱち火花が散る。
「ひ」
舌がもつれるのに、勝手に口がうごく。
「ひ、しゅごぃぃ……」
くふっと笑う息が聞こえて、俺はうす目を開けた。
ヒョンジュンはむずかしい顔じゃなく、まゆをさげたふにゃっとした顔で苦笑をうかべていた。
あぁよかった。ほんとうに。
生きてりゃこんなきもちいいこともあるんだからな。
そう言いたくて、しかし言うことはできなくて、背中にしがみついた。
体のすきまをふさぐようにぴたりとくっつく。
よだれとあせだらけで、ぐちゃぐちゃになっているし、あい変わらずわからないことだらけだ。
わからない。真っ白になる。変な声が出る。きもちいい。すこしこわい。
あ、あ、あ。
頭のてっぺんからつま先までびりびりと何度もしびれて、ついに声もでなくなった。

ようやく普通にものを考えられるようになって、気がついたら、ヒョンジュンが腕や足を絡めるようにぎゅうぎゅう抱きついていた。息苦しい。だるい。からだじゅう、外も中もべたべたぐちゃぐちゃして気になる。
「俺たちがミスコリアを獲れたら――――」
しかしヒョンジュンの低い声がうっとりと耳にそそぎこまれた。
「金が工面出来たら、アンタにもドレス買って着せてやる」
その声のここちよさにあやうく聞き流しそうになった俺は、ぎょっとした。
「な? 何言ってんだ! 俺の着るもんじゃないだろ」
「意外にそそるよ。それに選んでるとき、アンタだって気に入ってたろ」
「あ、あんときゃ別に……」
言い返すのを最後まで聞かないで、ヒョンジュンはがくりと頭を落とすと、ぴくりともしないで寝息を立て始めた。ほんの一瞬だ。いったいどんな顔をしているか見ようとしたが、鼻先を首のつけ根に押しつけているから見られない。よくまぁこんなかたい床の上で、ぐちゃぐちゃにからまって眠れるもんだ、と呆れた。俺が思っていたよりも、がんじょうでしたたかなヤツなのかもしれない。
俺は眠るときゃ布団の上で手足を伸ばして眠りたいが、自分の家のがらんとした部屋を思い浮かべて、まぁいいか、と多少のきゅうくつはがまんして目を閉じた。

おしまい

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